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校長のひとりごと

校長のひとりごと ~尾島の視点~

2025.04

2025年は巳年、巳年生まれの人は「お金」に困らないとも言われています。お金は人生に影響を及ぼす魔性の一面もあります。

高齢者を狙った凶悪な強盗・殺人事件が連日のように発生し、大きな社会問題となっています。「闇バイト」に応募した若者に共通することは高額な報酬目当てということです。若者の心理、理解に苦しみます。

かつて高度経済成長期には「働かざる者喰うべからず」と言われ、必死に汗を流し、嫌なことがあっても歯を食いしばり我慢しながら働くことが当たり前でしたが、今はいかに楽をしてお金を得るか、という考えに移行していく人も少なくないように感じてしまいます。

人生をかけて一生懸命に働いて、コツコツと貯めた高齢者のお金を狙い、掠め取り、挙句の果てに命まで奪ってしまう、非人間的で卑劣な行動はどのような心理に支配され、実行に至ってしまうのでしょうか。当の本人に罪の意識、罪悪感など抱く隙間もないほどお金を欲する思いが最優先し、溢れているのでしょうか。連日のように報道されるニュースに触れるたび「なぜ?」「どうして?」と考えては胸が苦しくなります。

やっていいこと、悪いこと、言っていいこと、悪いこと、その判断は何がベースになるのでしょうか。それは「教育」だと考えます。何が正しくて何がいけないのかをその理由も含めて理解・認識できるように、家庭や学校で教え育てていくことが、正しい判断を導くことになるのだと思います。

「そこのけそこのけ利己主義が通る」そんな日本、日本人は危殆に瀕しているのではないかと思えてなりません。

2024.10

ある病院の病室での出来事です。4人部屋、プライバシーはカーテン1枚で仕切られていることもあり、話し声はもちろんのこと、寝息さえも聞こえてくる環境です。ある日、80歳代のAさん(女性)が、声を潜めて泣いているのがカーテン越しに伝わってきました。気になりながらも、どうすることもできないもどかしさを感じました。

バイタルチェックに来た看護師に対し「あなたみたいに元気な人には私の気持ちなんか、わからないでしょうね」といきなり吐き捨てるように言葉を投げつけたのです。

看護師は優しく穏やかな口調で声をかけ、Aさんの言葉や思いを受け止めようとする心配りがカーテン越しでも感じ取れました。Aさんの顔は見えませんが、明らかに深く沈んだ声でした。「ここは急性期の病院の為長く入院できない、と言われた。私はここに居たい」と長男に訴えるAさんの声が聞こえました。
しかし長男は「同居はできない。今、施設を探している」と言いました。きっとAさんは、何の相談もなく施設での生活を勝手に決められたこと、相談員からは、施設とはどこまで話が進んでいるのか、と尋ねられることもあり、この先の人生、自分がどうなってしまうのか、大きな不安に襲われたことと推察します。現在、施設生活を送っているご利用者の何人が介護の原理・原則である自己選択、自己決定ができているのか、カーテン越しに漏れ聞こえてくるAさんの思いに触れ自分の人生を主体的に生きることの困難さを垣間見た気がしました。

2024.09

先月、長男夫婦に待望の第一子が誕生、院長先生からメッセージカードを頂きました。
 赤子には肌を離すな
 幼児には手を離すな
 子供には眼を離すな
 若者には心を離すな

「マズローの欲求五段階説」が脳裏に浮かんできました。あくまでも私見ですが、「赤子には肌を離すな」親の庇護のもと赤ちゃんは生きるために「飲んで(食事)、出して(排泄)、寝る(睡眠)」母乳・ミルクを飲みながら母親・父親の声、肌のぬくもり、心臓の鼓動などを感じながら、さまざまな感覚機能を身につけていきます。

「幼児には手を離すな」幼児の安全を守ることは親の責任です。手をつなぐことにより、幼児は守られているという安心感を持つでしょう。安心感があるからこそさまざまなことに興味・関心を持ち、自ら行動に移せるのだと思います。

「子供には眼を離すな」常に見守り関心を寄せるということ。 誰からも関心を寄せられない、これほど悲しいことはありません。自分の存在意義・価値にも波及します。小さな成功体験を見逃さず、褒め、頑張りを認めることで、子供は自己肯定感・自己有用感を抱き、社会の一員として生きることを学びます。

「若者には心を離すな」子供は若者へと成長し自立します。物理的な距離は離れたとしても「心理的距離」は大切に保持したいものです。その良好な関係を基盤とし、若者は自分らしい生活・人生を送ることができるのだと思います。さて、皆さん、この続きを一緒に考えてみませんか。「高齢者には『何』を離すな」と考えますか。ご一考ください。

2024.07

今年5月22日、一人の日本人男性がアラスカ州にある北米大陸最高峰「デナリ」で遭難し、死亡したとのニュースが届きました。「デナリ」は、かつて「マッキンリー」と呼ばれた山で、1984年に世界的な冒険家の植村直己さんが消息を絶った山としても知られています。

標高およそ5200メートル地点で遺体となって発見されたH氏は、私の妹夫婦の大親友でした。山をこよなく愛し、登山をするために働く、といった価値観を持ち、自身の生き方を大切にした人でした。今回も妹夫婦は空港まで見送りに行き、当然の如く登頂の成功を信じていました。日本を発つ時の元気な姿が目に焼き付いており、訃報が誤報であってほしいと何度も願ったそうです。

最愛の息子を遭難事故で突然亡くしたご両親の気持ちはいかばかりか、想像を絶します。妹夫婦の親友を失った悲しみも言い尽くせないほど深いものがありました。
こよなく愛した山が人生最期の地となったH氏。どのような気持ちで自身の「死」と向き合いその時を迎えたのか、何を考えていたのか、このような最期を本人はどのように捉えたのか、想像を巡らせるも答えが見つかりません。

大切な人を亡くした深い喪失感、悲しみの中に身を置きながらも、精神的苦痛から解放され立ち直りたい、という相反する気持ちの間に揺れが生じ、何とも不安定な気持ちに包見込まれてしまいます。そのような時こそ、誰かがさりげなく寄り添いサポートする「グリーフケア」が大きな意味を持つことを改めて感じた出来事でした。
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